われらちゅーねんサーファーだ!

その昔、京都という海のない街に一人の若い男がいた。彼は、高校3年の時にサーファーに憧れ、ついに御前崎にてデビューを飾ったのでした。それから、6年間に渡り、伊勢国府、御前崎、湘南、高浜、浜詰、宮崎、鹿児島、種子島、ハワイオアフに通い詰め、SURFINに励む10代後半から20代前半を過ごしたのでした。

また、同じ1980年代、静岡という海に囲まれた所で生まれ育った若者がいた。彼は目の前の海に浮かぶサーファーには目もくれず、ひたすら浜辺で女をくどく不埒な男、あげくは東京に出ていき、女を追いかけ海のない京都に流れ着いたのだった。

京都の男は23歳で、海のない街でサラリーマンをしながらサーフィンを続けることを断念したころ、静岡から来た男と運命の出会い、サーフィンとは無縁の日々を続けたのだった。京都の底冷えのする世界一寒い冬のある日、アムウェイは何の前触れもなくふたりの前に現れ、ふたりとも程なくどっぷり頭まで没頭してしまった。

時は流れて14年、静岡に戻ってアムウェイをしている男は、かなりの成功を収めていた(ちょっと甘いが・・・)。ある日、彼は思い立った。サーファーになろう! 40歳だった。しかし、それを止める環境はなにもなかった。実家のすぐ前はメンツル、グラッシー。気がつけば仲間はみんなサーファー、今や実業家の彼を縛る時間の制約もお金の苦労もとっくの昔に解決済み。女もいない・・・。毎日アサイチ、海で波待ちをしながら大きく伸びをして、どうして10代の時に目の前にありながら気がつかなかったのか? でも10代である必要なんかなかった。それよりも「やりたい」と思ったときに40歳のサラリーマンではなかった自分に感謝した。浜辺で通学途中の高校生達が叫んだ。「ええのうー!アムウェイのおっさんらは!」

子供にうらやましがられる大人。そして海は静岡だけじゃない。ボードをかかえて2000年正月、スリランカに飛んだ。象に乗ってポイントへ。海に入って笑いが込み上げる。自分さえ飛んでいけば1年中夏はそこにある! サーファーの楽園を発見したのだ。

京都の男は海に帰ってきた。高3の夏、初めて入った御前崎・静波ビーチ。23の時、最後に入ったのもここだった。37歳にして14年ぶり。はやる気持ちをおさえてゆっくりパドリング。「帰ってきたぞー」と叫びたい気持ち。そこへセットがアウトからやって来た。心臓のたかなり、パドルのピッチをあげ、テイクオフ! 「立てた!」14年間のブランクはその瞬間吹っ飛んだ。少々くさいライディングだったが、乗り終わってアウトを振り返ると静岡の男が白い歯をみせた。京都の男もちょっと照れて白い歯をのぞかせた。

20世紀最後の日本の夏に復活、そして年末も夏が続くバリ島で南半球デビューを飾る。9回もバリに通ってサーフィンを過去のものとして無視し続けていた男が、10回目のバリでボードを携えていく。この前まではゴルフバッグだったのに! 海はまったく変わらない。海から去っていくやつもいる。去らざるを得ないやつもいる。そして帰ってくるやつもいる。ちゅーねんサーファーの夏はENDLESSに続く・・・。

バリSURFIN修業へ

やっさんデビュー

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